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コンプライアンスインストラクター・ハンドブック
(ケース指導編)

9.リスクとジレンマ

 検討を「きれいごと」の結論で終わらせないためには、「こんな状況下でも正しい選択ができるであろうか」と考えさせるような状況設定が求められる。そのためには、「リスクとジレンマ」を組み込むことが必要である。

考えさせる工夫

 コンプライアンスのケースでは何らかの違反事例を取り上げる。違反である以上、結論は「ノー」しかあり得ないが、「駄目なものは駄目」という結論を簡単に下し、それで終わったのでは研修の意味がなくなる。違反行為には様々な背景事情があり、違反者自身も違反をしたくてしているわけではなく、悩みぬいた末に行為に及んでいることが多い。ケースを作る際には、そのような事情があったとしても、自分は違反を回避できるかどうかを考えさせる工夫が求められる。その工夫がここでいう「リスクとジレンマ」あるいは「悩ましい状況」の組み込みである。

無知と慣行

 違反者に違反理由を問うた際に、「違反だとは知らなかった」という答が多く聞かれる。また、「正しい対処方法を知らなかった」という答も多い。また、「昔から、そうしていたから」というような、慣行を盲信した結果としての違反事例も多い。知らないルールは守りようがないのである。自分が正しいと信じる方法を誠実に守っていたということであり、本人が誠実であればあるほど組織の危険が増大するという悩ましい状況である。

権限を超えた事象

 組織の一員であれば、自分に与えられた権限を超えた行為は行えないことを熟知している。それを制止する権限がない状況で違反行動を目撃した場合、ここに悩ましい状況が生まれる。また、介入権限のない他部門業務での違反行動や、上司の問題行動に対して、どこまで「正しい」姿勢がとれるであろうか。内部通報という選択肢もあるが、その副作用として自分の立場を悪くするリスクもある。これも悩ましい状況の1つであろう。

2つの責任の狭間

 癒着などの意味で「違反行動が利益を生む」という場合、「ダメ」の一言で片づけることは容易であろう。しかしそれが「自社の利益を生む」という場面ではどうであろうか。「些細な手抜きを見逃さなければ、採算割れが確実」という場面では、採算割れは自明な結果であり、手抜きの発覚は現段階では可能性に過ぎない。自社の利益を守ることも、自分に与えられた組織的な責任である。ルールの遵守と利益確保という2つの責任の狭間で迷うことになる。このようなジレンマの存在こそが、深い気づきを生むのである。

追い込まれた状況

 上の状況に加え、さらにその結果が自分自身の評価に関わり、しかもマイナス評価はなんとしても避けなければならない状況におかれていた場合には、「会社の利益」と「個人的な利益」が一致することになる。その場合には、危険性も悩ましさの程度も更に大きくなるであろう。

余裕の無さ

 本来なら踏むべき手順が存在するが、時間的・精神的に余裕がないため、それを省略する方向に圧力が働いているような場面である。マニュアルや基準書に明記されているような手順や、一目で重要だと判断できる場面であれば、「逸脱はダメだ」として片付けられやすい。しかし「緊密なコミュニケーションの実施」というような漠然としたもので、しかもそれが些細な問題だと映るような状況では、「やむなし」ということで省略され易いし、省略したことを非難するのは容易ではないだろう。

組織からの圧力

 「労災事故の徹底撲滅」が叫ばれているとき、些細な怪我の報告はためらわれるであろう。「このキャンペーンに社運をかける」という状況下で、小規模な個人情報漏洩が見つかったとしても、キャンペーンに水をさすような報告はし辛いはずである。このように有形無形の組織からの圧力を感じた際に、正しい行動が選択されにくいことも、悩ましさの一形態である。

<5 Check Points>

  1. 「リスクとジレンマ」がなければ「きれいごと」の議論に終わる。
  2. 無知と慣行の存在は基本的な設定である。
  3. 権限を超えた問題にどのように立ち向かうかを考えさせる。
  4. 二律背反の事象をもとに、正しい選択を考えさせる。
  5. 組織の圧力と余裕のなさも言い訳になりやすいジレンマである。